卒業

masu52005-03-09


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残り少ない日々  2005年2月24日
義家弘介

いろいろ考えて、決心し、暖かいみんなの思いにもふれ、それでも最後に、最後にそう語る・・・。
もう、すっかり いい大人だけれど、もうじき本当に卒業するんだね、義家。
もしかしたら もう生徒を送り出してしまったのかなと、あなたのページを、たずねました。1年生を担任していらしたの?だったら まだ、まだあなたの北星余市での日々はつづいているんですね。よかった・・・
明日を見つけられなくなった若者が、いや大人さえ、あなたに どれだけ救われてきたのか。問題を抱えた者たち・・・でも、本当に、本当にあなたを必要としているのはそういう者、ではない。なにか目に見えるトラブルがあるとわかれば、解決の糸口は、探すことができるから。だけど、そうではなく、理由のない 苛立ち 倦怠感。目の前の当たり前のことに当たり前に取り組むことが、「頑張る」という行為ができなくなってしまった者は・・。どうしたらいいんだろうね。当たり前の毎日を、当たり前の毎日が来ることの幸せを忘れてしまっている・・・。何に気づくのか?何がゆさぶるのか?閉ざされた心は。
なにもかも恵まれた現代社会のなかで、大切なものが見失われた、気がする。
たとえば、「20世紀少年」のなかで、絶望の底から、生ききはじめたヒトたちは。ひとつの歌に希望を託して。たったひとりの誰かが信じてくれることで、ヒトは生きていけるなら、その逆もしかり、たったひとつ信じるものがあれば、生きていくことができるのかもしれない。それさえ、見つけられない・・・それが最大の不幸なのかも。こんなにも、いろんな情報が あふれているというのに。たぶん、他人にいくら語られてもだめなんだろうな。自分で見つけなければ、気づかなければ、なにも 変わってはいかないんだ。本当には、誰も手はかせないし、本当に変えることができるのは、「自分」だけ・・・。
だけど、あなたは ゆさぶりつづける、何度も何度も・・・。いつか、彼らが気づく、そのときを 信じて。迷えるものに 道しるべを、かかげ続ける・・・。
そして、あなたが 今最後にしたいことが、目の前の生徒に、「向かい合うこと」であるように、何気ない日常が、実は何よりも、大切なのかもしれない。何もできないかもしれない。何も力には なれない。そんなときに、最後にできることは、ただ、自分は精一杯生きている、毎日を大切に生きている、と。その姿を見てもらう以外 何もないのかもしれないなぁ・・・.そして、そしてただ、傍らにいてあげること・・・。
そこから、何かを感じる、感じる心があることさえ、しあわせなことなんだ。
だからこそ、見つけた夢は、あきらめてはいけない。
夢さえ見つけられない、この社会の中で・・・
夢をかなえること以前に、ただ 夢中になれるものが、ある。すべてを忘れて打ち込めるなにかが、ある。それだけでも、そのしあわせは、はかりしれないほど 大きいよ・・・。だからこそ、私たちは、夢を追うものに魅了され、見果てぬ夢を・・・ 託すのだ

卒業。晴れの門出
それは、不安で 明日を見つけられないものにも、同様におとづれる。
どうか、みんなが、自分をみつけ、ここから 歩き始めることが できるように。
Let's go together〜☆